及川徹という名のの友人は、小学校の時から女子に大層人気があったらしい。
 もともと顔の作りが良かったし、社交的で女子にも優しいと来たら、女子が及川に好意を持つのもわかる気がした。フェミニスト、というやつだ。それに加え、いつもは軽い男にしか見えない及川のバレーは、真剣そのもので、魅せつけられた人間は一人や二人ではなかった。バレーをしてる及川の姿は、男のでさえ格好いいと思ったのだから、女子の心など容易く鷲掴みにしたことだろう。つまり、何が言いたいのかというと、人気者な及川の周りはいつも何かと騒がしかった。

 そんなある日、ある一人の女の子がを呼び出した。
 周りからは「告白か?」だなんて冷やかされたが、は笑って誤魔化すことしか出来なかった。なにせ、呼び出されるのは初めてではないし、呼び出された内容もなんとなく気付いていたからだ。

「呼び出してごめんね!これ、及川君に渡して欲しいの!」

 そう言って差し出された一通の手紙。
 可愛らしい封筒に丸みを帯びた丁寧な字で『及川徹様』と書いてある。ああやっぱり、とが思うのと同時に心が落胆するのを感じた。

 及川と知り合って間もない頃だっただろうか。
 一人の女の子が及川宛の手紙をに渡したことが初めだった。ワケもわからずその場で受け取ってしまったが及川に渡したのを切っ掛けに、それは幾度となく増え始め、今現在も続いている。も男なので、少しも期待していなかったと言えば嘘になる。とはいえ、女の子から呼び出されたのは初めてではなかったし、その大半は及川に渡してほしいとラブレターを渡されたのがほとんどだったので女の子から呼び出される時は大半及川絡みだともわかっている。そしては押し付けられる形で渡されたラブレターを受け取り、及川に何度も手紙を届けていた。

「……自分では渡さないの?」
「そ、そんなの出来ない!恥ずかしいよ!」
「直接渡された方が及川も喜ぶと思うけど」

 顔を大きく左右に振った女の子がに手紙を押し付ける。
 反射的に受け取ったが返そうと思った時には、女の子は既に足早に駆けていて、の手に残ったものは、及川宛の手紙だけだった。

 及川に手紙を渡すだけなら簡単だ。このまま教室に戻って、ただ手渡せば良い。が気を重くした理由は――それがいつの頃からだったかは覚えてはいないが、直前まで機嫌が良さそうにニコニコしていた及川が、女の子からの手紙を差し出した途端に不機嫌になることだった。そりゃあ、男から貰うより女の子から直接手渡された方が嬉しいだろうし、付き合うのか断るのかまではわからないが、呼び出す手間は減るだろうけども。

「……人の気も知らないで」

 受け取った手紙を見ながら、はくしゃりと顔を歪めた。
 最初の頃は、ただモテる及川を羨ましいと思いながら手紙を受け取り、手渡していた。もしかしたら、そこにはモテない男の僻みも少しは入っていたかもしれない。それがいつ頃変化したのか、はもう覚えてはいないのだが、及川と親しくなるにつれていつの間にかは、及川が気になるようになっていた。及川は男だし、も男だ。同性同士だし、何かの勘違いだと、思ったこともある。だが、及川と接する内にその勘違いは間違いだと気付き、は途方に暮れるしかなかった。

 はこの手紙の主と同じように、“恋愛対象”として、及川の事が好きだった。

 

 もうすぐ放課後になるというのに、の手元にはまだ手紙が残っていた。
 本当はもっと早くに渡す筈だったのだが、手紙を受け取ったすぐに及川に渡そうとしたら、既に及川が不機嫌で、とても渡せるような雰囲気ではなかったからだ。いつものように人の良い笑みを浮かべている及川になら、「ラブレター預かっちゃった。相変わらず及川モテモテだね」だなんて言って茶化せただろうに、が呼び出されて手紙を受け取っただけの短時間で、一体何があったのか。

「岩泉、及川のあれどうかしたの?」
「さぁ、知らね。あれだけ不機嫌丸出しなのは珍しいけどな」
「へぇ……?」
 
 付き合いの長い岩泉でさえ理由がわからないのなら尚更の事、お手上げだ。
 及川が真面目にバレーをしている事を知っているとしては、部活中に渡すような事はしたくなかったし、帰宅部のがバレー部が終わるまで待つ道理もない。大勢の前で渡しても良かったのだが、及川一人ならまだしも、それを見たクラスメイトが騒ぎ出すのが安易に予想ができて、渡す気にはなれなかった。

 その日の放課後、誰もいない教室では人知れず溜息を漏らした。
 既に及川は部活に行ってしまった後で、今頃は岩泉と共にボールを追い掛けてるに違いない。

 明日にでも渡せばいいかと、思ったが間違いだと気付くのは、次の日のことだった。






君!」

 教室に入ると、聞き覚えのある声がを呼び止める。
 はわからないが、昨日に及川宛の手紙を渡した女の子で、どこか責めるようにを見ていた。

「及川君に手紙、渡してくれてなかったの?」
「昨日は色々と間が悪くて、今日渡そうと思ってたんだよ」
「私は昨日渡してほしかったのに!」

 じわじわと目に涙を浮かべる女の子に、は気付かれないように溜息を吐いた。

 は及川の事が好きだが、及川に募る気持ちなど、とうの昔に諦めている。と及川は同性であるし、及川は女子に大層モテる。だから、及川にいつ彼女が出来てもおかしくはないし、今までだって及川に彼女がいたのは二度や三度の話ではない。
 最近はそんな話はあまり聞かなくなったものの、なりに及川の機嫌がいい時や、周りに人がいないのを見計らって手紙を渡すようにして、少しでも相手の女の子の印象をよくしようと思っていた。自分の恋が実らないのなら、相手が誰でも同じである……といった、自棄にも似た行動ではあるが、はできる限りの事をしたつもりだった。

「そんなに急いでたなら自分で渡せば良かったじゃん」
「酷い!それが出来ないから君にお願いしたのに!」

 朝から教室の真ん中で女の子が泣いている様子は、教室内でかなり目立っていた。
 もともとはクラスでは大人しい方であるし、そんなが女の子を泣かせている光景は奇異として目に映るのだろう。事情はどうあれ、女の子を泣かしたという事実に、ちくちくと責められるような視線を一身に受けながら、は少しずつ苛立ちが増していた。

「ちょっと、君聞いて……! 」
「……あのさ、いい加減にしてくれないかな」
「え?」

 普段大人しいの冷たい声に、女の子は目を丸くした。

「勝手に手紙押し付けといて何その態度。大体さぁ、人に手紙渡すってどういうことかわかってる?」

 もうすぐ始業開始のチャイムが鳴る頃だったのだろう。
 気付けば及川と岩泉の見慣れたセットが、朝練を終えてクラスに戻って来たとこらしく、教室内が騒がしい事に気付き、さらに騒動の中心にいるを見て目を大きくさせている。

「こういうことをされても、文句は言えないんだよ?」
 
 今日こそは渡そうと、ポケットに入れていた彼女の手紙を取り出すと、は迷うことなく手紙を二つに破り捨てた。
 最低な事をしているな、と頭ではわかってはいたものの、はこれ以上手紙を持っていたくなかったし、触りたくない気分でいっぱいだった。

 「えっと……?どうかしたの?」

 の態度に呆然としていた女の子とその周りを見ながら、おずおずと及川がに声を掛ける。

「どうもしないよ。しいていうなら、この子が及川に話があるみたいだけど」
「えっと、何かな?」
「え、あ、あの……」

 突然目の前に現れた意中の相手――及川に、女の子は上手く対応できずに動揺しているのがわかる。

「じゃあ俺はこれで」

 さすがに、皆の前では告白はしないだろう。それでもは、今は及川と誰かのツーショットなんて見たくなかった。破り捨てた手紙に目を落とし、は始業チャイムが聞こえるのもおかまいなしに教室の外へと向かう。

「待ってよ、!」

 及川の声が聞こえても、は止まることはなかった。





「最悪だ……」

 の頭がすっかり冷えて待っていたのは、罪悪感だった。
 
 彼女の手紙を破るつもりなんて、最初はなかったし、及川に渡す気でいたのにそうできなかったのは、が彼女を少しでも憧れたからに他ならない。告白する手段も権利ももっているのに、を使い、手紙を渡してくれていないと怒る彼女がどうしても腹立たしかった。及川という、同じ人物が好きな筈なのに、は男だというだけで、口にするのを諦めたのに。そんなに彼女は責めたのだ。たった一日、手紙を渡せなかっただけで。

「ここにいたんだ」

 しかいなかった屋上から突然誰か別の声が聞こえ、は肩をびくつかせた。
 何せ、聞こえた声はがよく知る人物で、今もっとも会いたくなかった男だったからだ。

「吃驚したよ」

 あの後大変だったんだよと、及川がの隣へと座った。

「……あそこまでするつもりなかったんだけど、なんか、腹が立って」
「ふーん、嫉妬でもしてくれた?」
「え?」

 気付いていたのか、気付かれていたのかと、の背筋に冷たいものが走る。
 及川は何が楽しいのか、引きつった顔のを見ながら笑っている。

「だって、はいつも手紙届けてくれるけど、今回は届けてくれなかったじゃん」
「……昨日、お前が捕まらなかっただけだし」
「あーあ。俺、これからは本命しか受け取らないでおこうかなぁ」

 及川さんモテモテだし。断るのも疲れてきちゃったしと、よく口のまわる及川は、がさらに顔を青くさせた事にも気付かず自慢話を繰り返している。

「本命、いたの。さっきの子?」
「違うよ。本命はいるけどね」
「……あ、そう」

 胸が、押しつぶされそうだった。
 元から失恋することはわかっていたし、及川に彼女が出来るたびに失恋していたようなものだから、にとっては本当に今更なことなのに、及川の口から好きな子の話を聞くだなんて、拷問に近い。

「その子さぁ、俺を上げて落とすのが上手い子なの。俺にラブレターなんてものを持ってくるくせに、全部顔も知らない子からのモノばっかりで、今まで一度もその子が書いてくれたモノはないんだよ」
「……それ、相手にされてないんじゃないの?」
「うーん、そうかも。でもさぁ、毎回違うってわかってても、やっぱり期待しちゃうんだよね」

 苦笑いする及川には相槌をうつしかない。
 及川がにしていることは、失恋に追い打ちを掛けているようなものだ。
 今だけはぺらぺらと喋る及川は黙ってて欲しかったし、いっそのこと、一人にしてほしかった。 

 及川は、が静かに黙り込んだのを見て、慌てたようにの顔を覗き込む。

「あれ……?、本当に俺の本命わかんないの?」
「はぁ?わかるわけないだろ」

 そもそも、と及川が仲が良いと言われても、実際には及川の友達なんて岩泉とその他のバレー部の何人か位で、どの女の子と親しいのかなんてにはわかる筈もない。

 及川は、の回答を聞くと大きく溜息を吐いた。
 溜息を吐きたいのはの方だったし、いっその事泣いてしまいたかったが、の自尊心が許さなかった。
 今そうしてしまえば、敏い及川の事だ。の気持ちに気付いてしまう可能性が高い。

 「戻ろうか、及川。迎えに来てくれて、」

 ありがとう。
 それが言えなかったのは、の唇に柔らかいなにかが当たったからだ。なにかだなんて、一つしかない。及川だ。及川の唇が、の唇に当たっている。

 ちゅ、と音を立てて離れた唇には目を丸くしていると、顔を真っ赤にした及川が叫んだ。

のばーか!ばーか! ……次からは!及川さんはが書いたラブレターしか受け取らないからね!」

 この鈍感! と、を置いて走り去る及川の背を、は呆然としながら見送った。

「え?…………え?」

 今のは都合のいい夢だろうか。
 そう考えても、唇に残る感触は消えそうにない。ついでに言うと、顔の熱も当分、引きそうになかった。


(2016.02.23)

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