『報われない恋をしている』

 そう言ったのは、四番隊隊長でありながら、白ひげ海賊団のコックを担っているサッチだった。
 自他共に女好きだと認めるサッチは、陸に上がる度に綺麗な女に恋をしては、高確率で振られている。
「海賊だから」「好みじゃないから」など理由は様々らしいが、船が出港するまでには必ず振られるサッチにマルコやクルーはいつものことかと呆れては、「また頑張れよ」と声を掛けるのがお決まりのパターンとなっていた。

そんなやりとりを何日か前にした後の夜の船で、マルコは偶然、甲板で酒を煽っているサッチを見かけた。
 サッチが酒を飲むこと自体は珍しくもなんともないが、普段は明るく船のムードメーカーなサッチが一人で飲んでいる様子は、長年一緒にいるマルコでさえあまり見かけたことはない。

「……まだ前の女引きずってんのかよい」

 つい先日、白ひげ海賊団は大きな街に立ち寄ったばかりだった。
 治安も悪くなく、今までに訪れた街の中でも比較的明るい方で、海軍の姿も見当たらない。
 普段は海の上ばかりいて海軍に追われる身のマルコ達にとっては、久しぶりに気を張らずに過ごせる場所ともなると気分も上々になっていた。
 その街で食料などの必要物資を補給することになり、ログが貯まるまでの間は船の見張り番以外は自由に行動を取っていた。
 この時の見張り番は二番隊で、マルコのいる一番隊もサッチのいる四番隊も買い物したり酒を飲んだりと各々好きにやっていた。
 サッチはそんな短期間の間にも恋をしたらしい。
 サッチ曰く一目惚れというやつらしいが、サッチは一目惚れしか出来ないのかと思うほどに惚れやすい男だった。
 船が街に寄るたびに女に惚れているのだからそう思われても仕方がない。
 もっとも、惚れてから振られるまでが様式美になっていたのだが、サッチの惚れる女はいつだって気遣いが出来て、面倒見の良い、よく笑う女が多かった。

「随分と引きずってるなんて珍しいよい」
「……違うんだよ」

 酒の入ったサッチは顔を赤くしながらゆっくりと首を横に振る。
  この間の女でなければその前だろうか。
 マルコは首を傾げたが、なにせ相手が多すぎる。
 どれも似たような感じの女が多くて見当がつかなかったマルコが尋ねると、サッチは意外にもあっさりとマルコの問に答えた。

「同じ船の奴なんだ」
「なんだ、ナースのことかよい」

 そりゃあ、叶わねぇなぁ。
 なにせ、船に乗るナースは船長であるオヤジの事を愛している。
 同じ船に乗ってるとはいえ、ナース達はクルー達を恋愛対象として見ることは少ないらしく、そもそも関わる事もそれ程にない。
 ナースは集団で過ごす事が多いので、クルー達も遠くから眺めている奴が大半だ。

「……ナースの事でもねぇんだ」

小さく呟かれたサッチの言葉にマルコは目を瞬かせた。
白ひげ海賊団が女と接する機会の多くは街での女遊びとオヤジの傍に居るナース達位だ。
 この海賊団には女のように線の細い奴はいるものの、全員間違いなく男である。
 言い方を変えれば、女の象徴である豊満な胸を持つ女は、この船にナース達以外は存在しない。

「……一体、誰の事を言ってるんだよい」

 自他共に女好きだと認めるサッチにまさか、という思いが募る。
 今まで聞いてきたサッチの恋の相手は実ることはなくとも全員女だったことから、マルコの想像する可能性はありえないと思っていた。
 しかし、街の女でもなく、ナースでもないとなると残る可能性は一つしか浮かばない。
 冗談だと思いたくとも、いつもは煩い程に明るいサッチが酒を煽りながら酷く打ちひしがれている様子を見て、マルコは気付いてしまった。
 ああ、コイツ、本気で男を好きになっちまったのか、と。

「なぁ、マルコ。俺は、俺はな……の事が、ずっと前から好きだったんだ」

 顔を覆ったサッチは大事そうにを呟きながら、今にも泣きそうな声だった。
 
 マルコはそのを知っている。
 知らない方がおかしいとも言えるだろう。
 なにせ、は同じ海賊団の仲間であり、この船での言い方でいえば兄弟だ。
 マルコのまさかという予想に見事当てはまったサッチだが、相手がとはマルコも到底思っていなかった。

「そりゃあまた……、難儀な奴に惚れたもんだねい」

 相手が悪すぎるよい。
 思わず漏らした言葉の後にズッ、と鼻を啜る音が聞こえたが、マルコは気にしない事にした。
 マルコが漏らした言葉は、紛れもない本心だったからだ。

 を知らない者はこの船ではいない。
 賞金首としての値段が高いだとか、性格がいいとか、面倒見が良いとか、決してそういう意味ではなかった。
 がそんな親しみやすい男ならば、マルコもここまで悩むことはなかったし、サッチもここまで打ちひしがれる事もなかっただろう。

 相手が男だということは、もうこの際置いておく。
 なにせ、男ばかりの船の上で男同士のあれやこれやはそう珍しいものではないからだ。
 マルコは自分が同性に惚れた事は一度もなかったが、男同士のあれやこれやの馴れ初めや結末を、船の中で何度も見てきている。
 男同士だということを除けば問題はただ一つ、サッチの想い人にあたるの方にあった。
 白ひげの船に乗る何百人という兄弟の中でも、は一際浮いており、厄介だと思う位には問題のある男なのは間違いなかった。

「……なんだって、あんな人間嫌いを好きになっちまったんだよい」

 この船に乗る誰もが周知していることではあるが、は大がつくほどの人間嫌いだった。
 船の中でも一人で行動することが多く、話しかければ顔を顰められ、触れば振り解かれる。
 今ではが人間嫌いだということを知っているし、も譲歩しているのか、最低限のやり取りは出来るようになったものの、無視をされたことは一度や二度の話ではない。
 団体行動が強いられる船の上での生活はにとって苦にしかならないだろうに、それでもはこの船に乗っているのは、オヤジが好きだからという事くらいはマルコにもわかっていた。
 でなければ、あの人間嫌いが好き好んで大所帯での暮らしを受け入れる筈がなく、そもそも海賊にすらならなかっただろう。

「切っ掛けは?」
「……食べてくれたんだよ。俺の作ったオムライス」
「オムライス?」
「美味いって言って米粒一つ残さず食べてくれてさ……それが嬉しくてよ」

その時初めて、サッチはまともにと話をしたという。
 といっても、一つ二つの会話をしただけで、食べ終えたあとは早々に部屋に戻ってしまったらしいが、それでも会話が出来た喜びと、料理人として最高の言葉を貰ったサッチは舞い上がっていた。
 その時はまだ、恋など可愛らしいものではなく、懐かなかった猫が気まぐれで甘えてくれたような、くすぐったい気分でしかなかったのに、気付けばサッチは今まで以上にを気にかけるようになっていた。

「……妙にに構ってたのはそういう事かよい」

 マルコは小さく溜息をついた。
 ここ最近、サッチが妙にに構っていると思っていたのだ。

 サッチにしてみれば、またと話したい、作った料理を食べて欲しい。
 たった、それだけの感情だったのだろう。
 もっとも、相手は人間嫌いなので、そう簡単に話す事も、食べさせる事も困難ではあったが、無視自体はいつもの事であったし、サッチにだけと言うわけではないので、どれだけ冷たくあしらわれても諦めることなくに話しかけていた。

 サッチが恋だと気付いたのは、その頃からだ。
 は人間嫌いではあるが、白ひげの船で暮らす以上、人を避け続ける事は無理だとわかっているらしく、必要最低限ならば兄弟達と会話する。
 その様子を見て、サッチは少しだけ嫉妬した。
 「俺の方が話し掛けてるのに、アイツとは話すんだな」、と。

  は人間嫌いではあるが、サッチだけが特別ではないのだと、その時になって初めて気付いたのである。

  サッチは自分の心の狭さに自分自身が驚き、そして相手がだという事に動揺した。
 サッチは今まで、女しか好きになった事がないからだ。
 柔らかい身体、豊満な胸、紅く彩られた唇。
 女の身体は魅力的だと感じている筈なのに、サッチの頭にはの事しか出てこない。
  誤魔化すように陸に降りては女を求めてはいたものの、いつでもの事だけを考えていた。

「(……どこの乙女だよい)」

 いい年したオッサンが、とマルコは思わず嘆きたくなった。
 しかし、に話しかける事が困難だと知っているマルコは、あえて口を噤んだ。
 だからと言って、このままずるずるとサッチの不毛な片思いを聞くつもりはない。
 マルコは大きく溜息を漏らすと、チラリと視界の端に見えた件の人物を指差した。

「そこらの女より振られる確率が高いってわかってんだ。とっとと振られてこいよい」

 


*





 は困っていた。
 ある日、突然この船のコックに「好きだ」と告げられたのである。
 はこの船の中で自分がどういう風に思われているのか知っていたし、この船の中でに近付いてくる人間など限られていた。
 その中でも、確かにコックはに近付いてくる内の一人ではあったが、話した回数は片手で数える程だったと記憶している。
 の頭には疑問符ばかりが残り、その場では頭が上手くまわらず、「あ、そう」と、なんとも素っ気ない返事をしてコックから逃げた。
 時間が経って思い返しても、もう少し言いようがあったのではと思わずにはいられない。
 それでも、あまりにも真剣な目でを見るコックの顔が怖かった。
 そもそもは人間が嫌いだし、人と関わりたいとも思わない。

 それなのに、とは唇を噛み締める。

  あの日からーーサッチに想いを告げられたその日から、はサッチの真剣な目と、逃げる際に見てしまった悲し気な表情を忘れる事が出来なかった。
 少し前から、話しかけられる事が多くなったと思ってはいたものの、が何度逃げても話し掛けてくる諦めの悪さは少し感心していた程である。
 だからといって、絆される事などなく、逃げても追いかけてくる男に対し、はどんな態度を取ればいいのかわからなくなっていた。

「……で、俺の所に来たってワケか。お前等ホントいい加減にしろよい」

 どこかウンザリした様子のマルコには首を傾げるが、マルコは溜息を吐いた。

「とにかく、サッチに俺に構うなと言っといてくれ」
「それ位自分で言え」
「ヤダ」
「お前な、いい加減にしろよい」

  口を尖らせ、今にも逃げ出しそうなをマルコはの服を掴んで阻止すると、その場に座らせた。
 いかにも不服だという顔のにマルコは少しの苛立ちが増したが、マルコはにどうしても聞きたい事があった。

 にサッチをけしかけたのはマルコではあるが、マルコはサッチが振られると当然思っていた。
 何しろ相手は男で、かつ人間嫌いときている。
 おそらくサッチもそう思っていただろう。
 しかし、実際にはは逃げるだけで、サッチの気持ちを否定した事は一度もない。
 その事実は、サッチが希望を抱くのには十分過ぎる事だった。

「本当はサッチが好きなんじゃねぇのかよい」
「そんな訳ないだろう」
「じゃあとっとと振ってやれ。そうすればサッチはに付きまとう事がなくなるよい」
「……それは、そうなんだが……」

  言葉を濁すにマルコは首を傾げた。
 がサッチを振ればサッチはに付きまとう事はなくなるし、もサッチに付きまとわれる事がなくなって、不満も消える筈であるというのに、何を戸惑う必要があるのだろうか。

 言い淀むの言葉を辛抱強くマルコが待っていると、観念したのかポツリポツリと話し出した。

「俺はサッチは好きではないが、アイツの作った料理は好きなんだ。食べれなくなるのは……困る」

 それはつまり、遠まわしにはなるが、はサッチに嫌われたくない、という事だ。
 マルコはその言葉を聞いて、どっと疲れが増した気がした。

 思わず、ベチン、と音を立てての頭を叩いてしまう位には。


(2015.09.10)

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