すきの温度(以蔵)

 最近カルデアに召喚されたばかりの岡田以蔵には、召喚された日から毎日同じ部屋を訪れている。消毒液の匂いが漂うその部屋に、目当ての人物がいるからだ。
 と呼ばれるその男は、遠い昔、以蔵がまだ人の身であった幼い頃に知り合った人物とよく似ていた。以蔵と共に育ったその男は、以蔵が人斬りになる前に病に倒れ、以蔵を置いてこの世を去っている。そんな事、今までずっと忘れていたくせに、瞬時に思い出せるほどに記憶の男と瓜二つの顔をしたは、初めて見る以蔵を興味深そうに眺めていた。

 マスターである藤丸立香によれば、はカルデアに所属する医者らしい。今までにも別の医者が居たという事だったが、藤丸が言い難そうに言葉を濁し、悲しそうな表情を見せたので、隠し事が嫌いな以蔵もあえて追及はしなかった。とりあえずは医者で、藤丸が信頼していることさえわかれば十分だ。それ以来、以蔵は意味もなく、医者だという男の部屋を訪れている。

 以蔵が訪れる時間は決まっていないが、レイシフト後であったり、夕食後であったりとたいてい夜になることの方が多い。それでもの部屋はいつだって電気がついていて、不在だったことは一度もない。医者であるは、怪我人や病人がいない間は部屋の片隅に置いてある机に向かい、以蔵には到底理解できないような本を読んだり、文字を書いたりしている。それがの仕事だとはわかっていたものの、は誰かが来なければその場から動かないような人間だった。

「やあ、いらっしゃい」
「……また寝とらんが」

 疲れたように見えるの顔は白く、その眼の下には隈が出来ている。レイシフトで陽に焼かれる藤丸とは違い、この小さな部屋に閉じこもってばかりいるの肌は白く、そのせいで隈が目立つし痛々しくも見えた。

「もう少ししたら休ませてもらうよ」

 以蔵は訝しげに視線を向ける。休むと言いながら、が本当の意味で休むことは少ないからだ。信用ないなぁ、と呟きながらは以蔵の分の飲み物を用意した。以蔵が何度か訪れるようになってから、いつ来てもいいように専用のコップを用意してくれたらしい。その中に注がれるものはお茶であったりホットミルクであったりと様々だったが、一番飲んで落ち着くのは飲み慣れているお茶だった。いつだったか、に一度酒を頼んでみたものの、「ここは診察室だから」と断られている。

「あれ、岡田さん。手に怪我してる」
「手? ……ああ、こがなかすり傷、どうもないき」
「駄目だよ、きちんと手当しなきゃ。俺は医者だし見過ごせない」

 ほら、と促され、以蔵は渋々手を差し出した。
 本当に大したことのないかすり傷だ。明日・明後日には消えてそうな位の小さな傷。
 以蔵の手を掴んだは手慣れた様子で傷痕を消毒していくが、傷痕に微かに染みる痛みよりも、以蔵には気になる事があった。

「……手がひやい」

 以蔵の手を掴んだの手は、以蔵の手とは違って随分と冷えていた。温かい部屋に閉じこもっているくせに、随分と冷たい手を持つは、このままだと以蔵の体温を奪っていくだろう。

「ごめんごめん、冷え症でね。昔からなんだ」

 手際よく消毒を終えたが以蔵の手を離す。
 それでも、以蔵の手には暫くの間、冷たいの手の感触が残っていた。

 それからというもの、以蔵はよくの手に触るようになった。触るなら女の方がいいし、男の手に触りたいというわけではなかったが、どうにもあの冷たい手の感触が以蔵は苦手だったらしい。だから触る、というのもおかしな話だが、原因はとっくにわかっていた。
 あまりにも冷たい手は、以蔵にとって忘れていた男の最後を思い出す。目を開くことも、声を聴くことも出来なくなった、男の最後の手は当たり前だが動くことなく、そして酷く冷たかった。
 の手は、その手に酷く似ていた。顔だけでなく、そんな所まで似なくてもと思ったが、それを嘆いたところで何も変わらない。だから以蔵は、生きている事を確かめるようにの手を触るようになった。結果は今の所惨敗で、いつ触ってもの手は冷たい。最初は目を丸くしていたも次第に慣れてきたのか、今では以蔵が言わなくても手を差し出すようになっている。

「はい、岡田さん」
「おう」

 無防備に差し出される手を以蔵が掴む。
 この日も、の手は冷たく、いつになっても慣れることはない。それがどうにも悔しくて、いつもは一瞬だけ触れる手を以蔵はぎゅっと握りしめた。

「……岡田さん?」
「ひやこいんじゃ」

 触れた所からじわじわと熱が移っていく。ゆっくりと、確実に。そうして暫くの手を温め続け、すっかり熱を奪われた頃には面映ゆい気持ちになっていた。
 そんな以蔵の気持ちを知らず、は温まった手をひたすら見つめていた。

「……岡田さんの手は凄いなぁ」
「わしは人斬りしかできん」
「いやいや、俺の手を温めてくれたでしょ」

 ほら、と先程まで以蔵がにしていたように、は少しばかり冷たくなった以蔵の手を握る。いつだって冷たかったの手は、この時ばかりは温かく、以蔵にとってはそれは初めての事だった。男の手を握ることも、冷たい手に触ることも、以蔵は好きではない。けれども、たったこれだけのことで嬉しそうに笑うを見れるのならば、少しだけ気分が良かったのも本当だ。

 それから何度かの手を温めた以蔵は、少しだけ気付いたことがある。あれだけ冷たかったの手が、触る度に和らいでいる気がしたのだ。

「わしが来る前になにかしちゅうか?」
「いや、いつも通りだよ」

 本を読むのも文字を書くのも、夜に以蔵が訪れる事も本当にいつも通りなのだろう。以蔵はの手を温めるために、冷たい場所を求めて手を動かした。するりと入り込んだ指と指の間を絡ませて、全ての隙間を埋めていく。

「お、岡田さん?」
「なんじゃ」
「いや、あの」

 言い淀むの視線には繋いでいる手に向けられている。指を絡ませて手を繋ぐ繋ぎ方をなんといったか。確か、恋人繋ぎといっただろうか。それに気が付いた時、以蔵は慌てての手を離した。

「ち、違うき!」
「岡田さん」
「わしはただ、の手がひやこいから」
「大丈夫、わかってる」

 驚いただけだから、とは笑う。
 再び以蔵に向けて手を差し出す。少しずつ冷たさが和らいでいるとはいえ、まだまだの手は冷たい場所は多い。けれども少しばかりの気まずさに、その日の以蔵は一度も喋ることはなかった。

 そんな事があった中で、以蔵は懲りもせず、今日もの手に触る。いつものような冷たさを覚悟していたの手は、既に以蔵と同じ位の熱を持っていた。

「……なして、今日はこんなにぬくいがか」

 以蔵がの手を温かいと思う時は、いつだって以蔵が温めた後だった。それまではずっと冷たくて、だからこそ以蔵はを温めてきたというのに、これでは温める意味がない。

「誰かにやってもうたか」
「違うよ。誰も触ってない」
「やけど」

 そこで初めて、以蔵は自分の中にある微かな違和感に気が付いた。男に触るのは別に趣味ではないし、冷たい手も苦手な筈だった。温める必要がなければそれでいい筈なのに、習慣とも、日課ともいえる行動の意味が突然なくなるとは思ってもいなかった。

「岡田さん」
「……なんじゃ」
「好きな人のことを考えたり触られたりすると、体温ってあがるらしいよ」
「なんじゃ突然」
「俺のこと触ったりするの、岡田さんくらいだけど」
、わしは……」
「うん」
「……日課がのうなったら困るから、仕方なくじゃ」

 目を丸くしているを尻目にの手を握る。
 既に温かいそれは以蔵が温めなくても十分だったが、以蔵が手を緩めることはない。

 お互いの熱が行き来しあう手の温度は、いつしか同じになっていた。


(2019.05.15)

inserted by FC2 system