「私ね、結婚するの。時臣さんと」
雁夜が葵の口から聞いた時、笑って祝福の言葉を述べたものの、上手く笑えた自信はない。
初恋の人が手の届かない場所に行ってしまう悲しさと、その相手に対する悔しさと、片想いの相手が幸せになれるであろう喜びと。
雁夜は時臣の事を好いてはいなかったが、葵が幸せになれる相手としては十分に認めていた。時臣は雁夜にないものを持っていたし、何より、葵の想い人が時臣だったのだ。悔しいと思う気持ちがなかったわけではないが、葵が笑ってさえくれるのならば、雁夜は二人を祝福するつもりだった。
ただ、ふと長年会っていなかったを思い出して、この結婚をどう思っているんだろうと、考えていた。
「時臣から聞いて知ってるよ」
「はこれでいいのか?」
「良いも何も、時臣に結婚を勧めたのは僕だからね」
「なん、で……」
雁夜はの言葉に戸惑うしかなかった。
雁夜が葵を好きなように、は時臣が好きだった。と時臣は男同士だし、結婚なんて出来やしない。ましてや、は時臣に想いさえ伝えようとはしなかった。時臣も時臣で、の気持ちに気付きすらしないのだから、ある意味一番罪な男なのかもしれない。
それでも、間違いなくは時臣の事が好きだった筈だ。
時臣の幼馴染であり、誰よりも時臣の一番近い場所にいた。確かに、時臣にしてみれば恋愛感情を抱かれているだなんて思いもしなかっただろうが、の態度ほどわかりやすいものはない。時臣の事を好きなくせに、結婚を勧めるなんてこと、雁夜には正気とは思えなかった。
「あのねぇ、大袈裟なんだよ雁夜は。僕と時臣はただの友人だし、友人の幸せを願うのは当たり前のことだろう?」
「でも、お前……」
「二人が結婚しても僕と時臣は何も変わらないさ」
そう言っては笑う。
その笑みは本当にいつも通りで、雁夜が思わず拍子抜けした程に、は普段通りに笑って見せた。泣くわけでもなく、強がっているわけでもない。
ただ穏やかに、は二人の関係を笑って祝福していた。
二人が結婚してからというもの、雁夜は葵との付き合いを控えていたが、と時臣は本当に何も変わることはなく、ただ友人関係を築いていたらしい。
らしい、というのは、雁夜が直接みたわけではなく、から聞いた話から推測した。実際にどれ程の付き合いだったのかは定かではないが、もともとと時臣が仲が良いことを葵は知っていたし、も常識を弁えていたので、遠坂家に入り浸る真似はしていない筈だ。
二人の子供が産まれた時も、はとても喜んでいたし、時折おもちゃやお菓子を買い与える程には二人を可愛がっていた。それは雁夜も同じで、二人のことが可愛かった。なにせ、二人は雁夜が恋した女性の子どもであり、彼女の幸せの一つだ。可愛く思わない訳がない。例え時臣の血が流れていようとも、雁夜は彼女が幸せならば、それで良かった。
本当に、それだけで良かったのだ。
「……雁夜?」
薄暗い教会の中で、どこか虚ろな目をした雁夜が静かに教会の外へ出ていくのが見えた。
中を覗いてみたが、明かりはついておらず、窓から漏れる光だけが教会の中を照らしている。
教会の中は相変わらず静かだった。
まるで、誰もいないかのような感覚に陥るが、が目にした光景がそれが否だと伝えている。
「……時臣……」
常に優雅たれと微笑んでいた時臣の姿ではない。
見慣れた赤いスーツを着ているが、微笑むことはなく、動くことはなく、ただそこにあるだけのモノとして、横たわっている。
時臣で間違いはないのに、の知る時臣ではなかった。
そしてもう二度と、の知る時臣が戻ってくることはない。
「……雁夜が、殺したのか?」
雁夜が教会から出て行ったことを思い出す。
しかし、雁夜が時臣を殺す理由があったとしても、葵まで殺す理由がにはわからなかった。
そもそも、雁夜に時臣を殺せるとは思わない。
は聖杯戦争とは無関係の位置にはいたが、魔術師の端くれだった。
だからこそ知っている。魔術師としてみるならば、雁夜はとても非力だ。
時臣にしてみれば、指一本触れることなく雁夜を殺すことが出来るくらいには。
「時臣……」
は時臣にそっと触れた。
その身体は冷たく、肉も硬くなっていて、時臣が死んでから時間が経っている事がすぐにわかった。
いつもなら汚れの一つすらついていない時臣の胸元には、真っ赤な血がこびりついている。
は開いたままの時臣の目を手のひらで閉じた。
たったそれだけの事だったが、苦しげだった時臣の雰囲気が変わり、まるで寝ているかのようにみえる。
「時臣……」
はずっと、時臣の事が好きだった。
しかし、時臣はの気持ちに気付くことはなく、も時臣に想いを告げることはなかった。
弱虫だと言われても言い逃れなど出来やしない。
はただ、時臣との関係が変わることが怖かった。
想いを告げたとしても、いずれ終わりがやってくることなど目に見えている。
それならば、例えの想いが報われることなく朽ちていくのだとしても、ただ時臣の友人として側にいられるのならば、それだけで良かった。
想いを告げることも、触れることも、何一つ出来ないままでも、は時臣を愛していたのに。
「……時臣」
呼吸音が聞こえない。心臓も止まっている。
声を聴くことはもう出来ないし、時臣がの名を呼ぶことも二度とない。
「(でも、これで――僕と時臣の関係が変わることも、ない)」
は時臣の側で倒れている葵を尻目に、時臣の顔に触れた。
当たり前だが拒絶されることはなく、非難の言葉を浴びる事もない。
「時臣、好きだよ」
教会という、神しか見ていないその場所で、は初めて時臣に自分の想いを告げた。
もっとも、時臣本人の前で口にしたところで伝わるはずはないのだが、それでもは、許されたような気がしたのだ。
「……好き」
ずっと隠してきた想いを辛いと思ったことはない。
時臣が葵と結婚し、子どもを授かった時に感じた嬉しさは紛れもなくの本心だった。
友人として過ごす時間は決して悪くなかったし、あの日々は臆病者であるの宝物である。
「(それなのに、なんで……)」
やっと告げれた想いだった。
ずっと言いたくて、でも言えなくて、ようやく言えた言葉なのに。
目の前の時臣はうんともすんとも言わず、ただ横たわっている。
を拒絶するでもなく、微笑むわけでもなく、を呼ぶこともない。
それをわかっていながら口にした言葉なのに、の中には虚しさしか残らなかった。
(2015.08.10)