白野とが初めてサクラ迷宮に行った時、が小さく零した言葉を白野は思い出した。今の今まで忘れていたというのに、ふと思い出したのは新しく入荷されたにも関わらず、購買の片隅にまるで置物のような扱いを受けていた商品を見かけたからである。購買店員である言峰は、やる気があるのかないのか――目新しい商品を置くという時点ではやる気はあるのだろうが――片隅に置かれた商品について口にすることはなく、次々と白野が選んだ商品の勘定に専念している。

 白野のサーヴァントであるも普段であれば買い物が終わるまで白野の側にいることが多いが、この日は購買に置かれた今日限定で販売している麻婆豆腐の臭いあてられて、少し離れた場所で待機していた。既に調理されている麻婆豆腐が学校内で売られているのは確かに異様な光景ではあるが、それ程嫌がることだろうかと思わず首を傾げたが、実際に目の前で麻婆豆腐を見て白野は理解した。赤い。物凄く赤い。視覚的に辛そうにみえる(実際に辛いのかもしれない)麻婆豆腐は視界に優しいとは言い難い。幸いだったのは、赤くて辛そうな麻婆豆腐だが思った以上に臭いがきついとか、そういうものがないことだ。は耐えきれずに離れたが、白野は気にすることなく買い物できそうな位のものだった。まぁ、確かに麻婆臭いとは思うけど。

 それよりも――あれはどうしようか。

 白野の目はある商品へと注がれていた。ショーケース内に置かれているソレは、商品に間違いなく、店員である言峰に聞けばどのような物なのかはすぐにわかるだろう。そういった点については気にする必要はない。ただ問題は、ディスプレイに書かれている値段だけだった。買えない値段ではない。コツコツと貯めてきただけあって、懐は随分と豊かになっている。とはいえ、サクラ迷宮に向かうための準備が最優先のため、現在進行形で白野の財布は少しずつ軽くなっていたが、自分の財布の残高を確認したところ、少なくなったとはいえ、目当ての商品はまだ買える値段である。

「これで以上かね?」

 商品の勘定を終えた言峰が白野に確認した。白野は目の前の商品に悩むものの、が口にした言葉を思い出してしまった以上、そのままスルーしてしまうのも気がひけた。気付かなかったことにしてもはきっと何も言わないし、気付いたとしてもおそらく何も言わないだろう。は基本的に買い物は全て白野に任せていて、時折買い過ぎだ、と注意する位で白野が何を買おうが口に出してくることはない。

 どうしよう、と唸る白野の視線の先にある商品に気付いた言峰がとった行動は早かった。客である白野に丁寧に商品の説明をし、いかに上手く魅力的な商品であるのかを印象付けて買い求めていただくか。気付けば白野は言峰の口に乗せられて、あれよあれよという間に商品を買っていた。あれ、と気付いた時にはもう遅い。大金が入って上機嫌な言峰に見送られ、白野の元には重さなど感じない財布と大量の紙袋、そして綺麗にラッピングされた包みだけが残っていた。

*

「……何を買ったんだ、ヘボマスター」

 購買に行った白野が両手がふさがる程の買い物をするのは初めての事ではない。目新しい商品があればすぐに購入してしまう癖のある白野に呆れたことも幾度かあるが、今回は特に酷かった。なにせ、パンパンに膨らんでいた白野の財布がすっからかんになっている。は凛のような金に執着するような性格はなかったが、さすがに今回の白野を見逃すわけにはいかなかった。金に興味はないが、金はある方が良い。白野の買い癖も今まではちょっと買い過ぎ位のものであったが、今回は特に酷い。白野もそのことを自覚しているのか、椅子に座って、じっとの叱責を受けている。しかし、口を開こうとはしなかった。

「別に買うなとは言わねぇが、“何を”買ったか位言え」
「……やだ」
「やだ!?……おいまさか、言峰にぼったくられた訳じゃねぇだろうな」
「それは違うけど」
「ならなんでだよ。隠す意味がわかんねぇ」

 頑なに口にしない白野に痺れを切らして、買ったばかりの持ち物を漁るか言峰に尋ねた方が早いのでは、と考え始めた頃、白野が重い口をようやく開いた。

「……思い出したのは、たまたまなんだ」
「あ?」
「買うかどうかはまだ迷ってたんだけど、その、言峰が商売上手で」
「……それで?」
「それで……コレ」
 
 おずおずと白野は綺麗にラッピングされた箱をの目の前に置いた。は似たように包装された箱を前にも見たことがある。あれは確か、白野がAIである桜に制服をプレゼントした時のことだっただろうか。なんにせよリボンまでかけてあり、かつ丁寧な包装を見れば誰かに送ることなのは見てわかることだが、中身まではわかる筈もない。

「なんだよ。また桜にプレゼントすんのか?」
「違うよ。その……お前の、服」
「は?」
「だから、お前の服!」
「はぁ?なんでそんなもの……」
「だって、言ってたじゃないか」

 月の裏側に来て間もない頃まで話は遡る。月の裏側で召喚したはその頃、白野を含め、色々なことに対して不満を抱いては口にしていたことを白野は覚えている。今でも口にすることはあるが、その頃に比べると大分少なくなった。一緒にいるうちに諦めた可能性もあるのだが、とにかく、その頃のの不満の一つに「服」があったのだ。

 召喚した時からの腕に巻かれた鎖は、の標準服かと思っていたのだがそうではないらしい。サーヴァントの能力を抑制する拘束具の役目を果たし、ただでさえ身体能力が低下しているのに加えて鎖は重りの役割もしている。当然、動きは鈍るが、サクラメントも道具もないため暫くはそのままでいたのだが、何度目かのサクラ迷宮での戦闘のあと、が言ったのだ。

――動きにくい、と。

「俺もそれを見るまでは忘れてたんだけど、能力低下はマスターの俺のせいでもあるし、それに、思い出したら気になって」
「……馬ッ鹿じゃねぇの?」

 は白野の正確な手持ちの額は知らないが、それなりにお金を持っていたのは知っていた。だからてっきり自分の礼装や道具に使っていると思ったし、実際、今までは自分のために使っていたし、これからも好きに使えば良いと思っていたは、差し出された箱の中身が誰が使うものなのかまではでどうでも良かった。ただ、今回はあまりにも高額だった為に問い詰めただけだ。それがまさか、の服を買っていただなんて、思う筈がない。

「……ありがとよ」

 誰かに物を贈られたことが久しぶりだったは、じわじわと広がる嬉しさを隠すように白野の頭をくしゃりと撫でた。


(2014.09.10)

inserted by FC2 system