「おや、今日は一人かね」

 保健室にいる桜に用があるという白野を一人で行かせ、周辺を彷徨いていたに一人の男が話し掛けた。学生の姿をしたNPCが多い中、大人であり、かつ男というだけで限られるこの校舎の中でサーヴァントであるに話しかけるNPCなど、この月の裏側ではたった一人しか存在しない。

 男はムーンセルでは監督役として選ばれ、此処、月の裏側ではBBによって役割を書き換えられて購買の店員を勤めている。それ程親しい相手という訳でもない男とが、直接的に話すことなど今までにはなかった。なぜならば、はマスターである岸波白野の買い物に付き添っているだけの身であり、男は購買の店員という、ただそれだけの関係だったからである。白野が購買をよく利用していることから男のが言峰ということや、ある程度の人となりを知ってはいるが親しいと問われればそうでもない。白野がいなければ、会話を交わすことさえなかっただろう。

「……何か用か、言峰」
「用はないが珍しいと思ってね。君はいつも彼と行動してるだろう」
「ヘボマスターならそこの保健室で青春真っ最中だ」
「ほう」

 保健室にそっと視線を向ける言峰には小さく溜息を吐いた。この男に初めて会った時からは言峰に対して良い印象を抱いてはおらず、出来ることなら関わり合いになりたくはなかった。言峰が何かをしたという訳ではない。言峰の胸元に見える十字架や身に纏うカソックといった、一目で聖職者だとわかる言峰をが苦手としているだけだ。

 は聖職者が苦手だ。嫌いと言い換えてもいいだろう。いもしない神を信じるだなんて馬鹿げていると思っているし、そういう奴は必ずと言っていい程、録な奴がいないと思っている。

 だからと言ってあからさまに避ける程は子供でもなかったし、白野がサクラ迷宮の探索を諦めない限り、言峰の世話になることはわかりきっていた。保健室にいる白野からそれ程遠くへ離れることも出来ず、暇をもて余したにとって、話し掛けてきた言峰は、にとって不本意ながらも丁度いい話相手なのは間違いなかった。

「それで、君はここで待ちぼうけという訳か」
「ヘボマスターの青春なんざ全く興味ねぇからな。ったく、一人で歩き回れないのも暇で仕方がねぇ」

 せめてアーチャーのクラスであれば、とは愚痴を溢す。単独行動スキルをもつクラスで現界されていれば、好きなところへ遊びに行けるというのに。もっとも、の武器は槍であり、それ以外のクラスで現界されることはないとわかりきってはいるが、こうも自由に動けないとなると退屈で仕方がない。やれやれ、と肩を落とすに言峰は小さく笑った。

「そうは言いつつも、君は彼の側から離れるつもりはないのだろう?」
「あ?何言って――」
「サーヴァントの行動範囲はある程度決まってはいるが、必ずマスターの側にいなければならないというものではない。アーチャーのクラスに比べれば行動に制限はされるが、それでも君であれば、この旧校舎くらいは自由に行動できるのではないのかね?」
「……」
「それなのに保健室にいるマスターの邪魔をせず、かつその場から離れる訳でもない。ただじっと待ち続けるだけとは……いやはや、なんともマスター想いなサーヴァントなことだ」

 楽しげに笑う言峰には惜しみもなく顔を歪めた。苦手だと認識していた相手に見透かされる程、居心地悪いものはない。実際、口では色々言いながらも、は白野の側から離れるつもりはなかった。未熟とはいえ、白野は白野なりに応えてくれているのをは知っている。少しずつ成長している白野を見るのが楽しみになっていたにとって、白野を守ることは今では当然と言えることだった。もっとも、それを口に出すことはしないし、するつもりも毛頭ないが。

「彼は君の想いなど全く気付いてはいないようだがね」
「……別に期待はしてねぇよ」

 態度を改めるつもりなどないにとって、今まで通り白野は"ヘボマスター"で、は白野にとっては自分勝手なサーヴァントであればいい。だからこそ、誰にも気付かれたくなかったというのに、まさか自分が苦手としている男に気付かれるなど、計算違いもいい所である。

「今の君は主人の帰りを待つ犬とまるで変わりない。牙を失った犬など面白くとも何ともないが、私は君のマスターに期待しているのでね。これからも購買店員として惜しまぬ努力をすると約束しよう、ランサー。どうぞご贔屓に」

 口元を引き攣らせたを気にすることなく自分の持ち場である購買へと踵を返す言峰の背に向けて、は大声で叫んだ。

「誰が犬だ!ふざけんな!聞いてんのか言峰ェ!」

 罵倒を連ねるがまるで、キャンキャンと吠える犬のようだと言峰が思ったことを、は知る由もない。


(2014.06.10)

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